#011 私の言文一致体験

書き言葉は基本的に標準語の世界で、生活の垢のようなものを持たない規格化された、その意味で死んだ言葉の世界だ。標準語というのは要するに近代化の必要の中で行われた言葉の効率化だ。しかし、場や空気を持たない言葉の不都合に耐えきれない時、書き言葉というのはどんどん話し言葉へと崩れて行く。▼メールというものが初めて登場した時、初めはそれを手紙のメタファーとしてとらえていたために、そこで書かれる言葉もまた手紙然としていた。しかし、じきにメールの言葉は話し言葉と変わらないものになった。今では話し言葉でメールを送るのは何の変哲もない事だが、「話すように書く」という事が初めは非常に新鮮な感覚をもたらしてくれたことを思い出す。少し大げさだが、かつての日本文学史における言文一致運動の時の新鮮な感覚を、自分の中で追体験できたような気がしたのだ。