絵のまよい道

『岡倉天心 人と思想』という本の中の次のエピソードが面白い。絵にとって音とは何かという問題。「下村観山が屏風の弁財天の絵を描いていた所、岡倉天心がやってきて絵を眺め、多くの点を称揚したのちこう言った。『が、しかし、下村君、弁財天の奏でられる撥のさえは明らかに見えながら、肝心の琵琶の音が、この画面のどこからも聞こえて来ない。それでは、画としての意味が完全ではない』」