Short Diary

日記です。

4/30に開催された茶LT2の参加記録です。5分間なにかを話す、テーマは何でもいい、というライトニングトーク会でした。

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この絵。
BusStop_800

この絵は元々は3DCGを使って背景を描く絵の習作にしようと思って描いたもので、Unreal Engine 4を使ってバス停を簡単に作って、
ue4_busstop

風景をいい感じにセットアップして、
ue4

キャラクターの絵を描いて、
BusStop_20160229_8h

でも、背景は結局手作業で描いて完成に至りました。

イメージ通りのものを細かいとこまで作ろうとすると、手で描いた方が自由がきくし早いです。
たぶん3DCGを使うなら手で描くのが面倒な複雑なものとかProceduralに生成しやすいもの(植生とか)が特に向いてるのかもしれないなと思いました。

サイトのデザインをリニューアルしてました。ついでに、非公開にしていた文章系のコンテンツも公開に戻しました。日記とか読書記録とか。昔はまめに文章を書いていたんだなぁとか読み返しながら感心してました。自分でも書いた覚えのないものも多くて、さすがに5年も前のものになると記憶に残らないものなんですね。

ウェブの世界が完全にモバイルファーストになったのが5年前と大きく変わった所でしょうか。今回はレスポンシブに対応するよう気をつけてリニューアルを行いましたが動作確認など網羅的にやったわけでもないのでレイアウト崩れが生じていたらすみません、てか教えてくれると助かります。

約400冊の本の電子化が終了しました。で、今日ゴミの日に裁断・スキャン済みのその本たちをゴミ置き場に出してきました。裁断するときは特に何も感じなかったけど、捨てるとなったときに少し寂しさを感じ始めて、だから最後の記念にと思い捨てる本を並べて写真を撮ってその姿を残しておきました。本を捨てるということで何が寂しかったんだろうと考えてみたんですが、例えばある本は、雨に濡らしてしまったせいで紙がヨボヨボに波打ってるんです。その本を手に取ると、何年も前に自分がそれを読んでいたときの、通学中の雨でカバンと一緒に本も濡れてしまったという状況が、本の手触りを通して頭に浮かんで来ます。紙を見て触っているうちに、そういう忘れていたようなことも思い出せるんです。スキャンされた画像にはそういった紙の質感は何も無く新品まっさらのようになってしまっているので、pdfになったその本を開いても、さっき書いたような状況を思い出すことはもう無いだろうと思います。紙を捨てることで、その紙と結びついていた記憶や思い出も一緒に失われてしまったわけですね。それが寂しくて、捨てる本の写真を撮ったのも少しでも記憶や手がかりを残しておきたかったからなんだろうなと思います。モノを捨てることの寂しさってたぶんそこにあって、これは本に限ったことではないですね。モノを失うこと自体が寂しいというより、そのモノと一緒に過ごした時の思い出が失われることが、寂しいんです。必要の無いモノをいつまでも残してしまう「捨てられない人」というのは、こういった感覚が人より強いのかもしれません。

久しぶりにサイトの外観をちょっと変更。前のがいまいち気に入らなかったので。やっぱり中央揃えは開放感があって気持ちがいいです。それにしても、Macを使うようになってからWinの文字がアンチエイリアスがかかってないのが気になって仕方が無い。サイトのメニューの文字なんかは画像置換してしまいたいけど、コストがかかるのでそれはやらないようにするつもり。でも、がたがたの文字をWinで見るたびにもやもやした気分になってしまうのはどうしようもないです。

以前イラストを担当させてもらった『東方粉飾劇』(詳しくはこちら)ですが、この同人誌の著者の五月さんが”ダイヤモンド・ザイ”という雑誌に最近登場したみたいで、記事の中に『粉飾劇』のカバーイラストも載っていました。個人投資家である五月さんへの2ページのインタビュー記事になっていて、紙面の端っこの方にこっちょり表紙絵が紛れてる感じです。こんな感じ(写真)。掲載されたのはダイヤモンド・ザイの2011年4月号(現在発売中)です。こんなことはもう二度と無いと思うし、貴重な体験をしたなという感じです。

いつもPCで使ってた画面キャプチャソフトがあるんですが、Macでは使えないので何か他に良いソフトはないかと探していたら、こんなものを見つけました(Windowsでも使えるみたいです)。
Jing, instant screenshots and screencasts, home
http://www.techsmith.com/jing/
これがほんとすっごくいい感じだったので、思わず紹介したくなりました。機能についてはサイトのこの部分(キャプチャ画像)をクリックすると見れます。使いやすく見た目もかっこいいソフトです。ちなみに、キャプった画像はPCに保存するだけじゃなくボタン一つでネットにアップして他の人に見せることもできるし、画像の中に説明文や矢印を書き入れることもできます。いま用意したキャプチャ画像は、まさにそうやって作ったもの。画面キャプって説明付けて誰かに見せるってことが超手軽に一瞬で出来てしまいます。5分以内という制限がありますが、動画の撮影も出来てしまいます。素晴らしいですね。ダウンロードして最初に起動した時にチュートリアルが始まるんですが、これがまたクールで。色々と素敵なソフトです。

電車通学で片道1時間半くらいかけて学校まで行ってます。往復で3時間以上はかかる。けっこうな時間ロスというか時間がもったいないんじゃないかって思われるかもしれないけど、実はそうでもないんです。電車内でずっと本読んだりできるし、iPhoneのネット環境もある。電車内ってけっこう集中して作業に没頭できるんです。あの適度な揺れとうるささがいいのかもしれません(そう言えばニンテンドーDSの文学ソフトにもBGMの一つに電車内の音というのがあったし、環境音として好きな人は多いんだと思います。カタンゴトン)。帰りの電車内って人が少なくてリラックスできるし雰囲気的にとても居心地がいいから、作業環境としてかなりいいもんなんです。家だとやる気が出ないような作業も電車内だとやれたりするので、面倒な作業が溜まらずに済むのも電車のおかげ。電車様々ですね。

考えたことを言葉にしておくって大事ですね。Evernoteを使うようになってから毎日のように文字を書いています。断片的な思考でも逐一残すようにしていると、後で見返した時に色々と発見があります。記憶なんてすぐ消えてしまうものだし、こうした蓄積を取りこぼさず残しておくのはたいせつ。iPhoneでいつでもどこでもメモを書いたり見たりできるし、この便利さはもうそれがない世界には二度と戻れない感じです。

高校の頃、数学の勉強にとてもハマっていて、授業とは別に自分で勝手にどんどん先のことを勉強していました。高2の後半にはもう高3の内容まで一人で全てやり終えてしまったんです。別に勉強することが特別好きって訳ではなかったし、むしろ宿題をさぼってばかりの駄目な生徒だったと思うんです。でも、あの時の数学の勉強は、本当に面白かった。誰かから教えられるのではなくて、自分一人で勝手にやるってことが良かったんだと思う。知らない場所に一人で出かける時のワクワクのようなものがあるんです。新しい概念との出会いが純粋に楽しくて、例えば極座標の概念を初めて知ったときに、そんな座標の取り方もアリなのかって新鮮な驚きがあるんです(デカルト座標だけが唯一の座標系だと思ってるわけだからね、その時点では)。新しい章に進むたびに新しい概念が登場して、その度に驚いたり感心したりする。そんな調子で楽しい楽しいでどんどん読み進めていってしまうんです。そうこうしていると、この「初めての出会いの瞬間」の楽しさを、授業に(というか先生に)奪われたくはないって気持ちがとても強くなるんです。何か新しいことを授業で教わるのって、推理小説のネタバレを聞かされるのに似て、とても興ざめなんです。一人でやってたときはあんなに楽しくて、驚きがあって、物事の新しい見方を初めて知った時の新鮮さ、嬉しさみたいなものがあったのに、授業として人から教えられると、どうしてこうもつまらなくて退屈なものになってしまうんだろう! ほんとそう思いました。その先生が授業がへただっただけかもしれないし、説明のスタイルが自分と合わなかっただけなのかもしれない。それもあるとは思う。でも、人から受動的に情報を受け取る場合と、自分で主体的に理解を構成しようとする場合との間に存在する本質的な違いということが、やはり根本の要因なのだと思います。ともかく、教えられる前に自分で勉強してしまうことの楽しさに目覚めてしまった自分は、その後他の科目でも同じようなことをするようになって、結果として授業はまともに聞かない(もう知ってる内容だから)、宿題もよくさぼる(自分の勉強で忙しいから)というかなり不真面目な、かといって勉強してないわけじゃなくむしろ勉強には人一倍熱心だという、教師からすればとても扱いにくい存在になってしまったのでした。

少年易老学難成。

徹夜明けで気づいたら13時間も寝てしまってた。目が覚めて外が暗い時って、なぜか違う国に移動したような気分になります。

MacにiOS SDKを入れてプログラミングのお勉強。iPhoneアプリが作りたいんです。自分の作ったものが携帯(iPhone)の中で動くなんて楽しいに決まってますよね。ワクワク。

週末にTOEICを受けます。英語の勉強を試験対策のためにやるなんて時間の無駄だと思うので特に何も勉強はせず受けに行くんですが、試験の形式くらいは把握しておいた方が良さそうだということで公式問題集の模擬試験をやってみました。どうやらこの試験、制限時間がけっこう厳しいみたいで、最後の問題が時間切れで解けなかったです。後半の長文問題が要注意ですね。文章すべて読んだ上で問題の解答を選んでたんですが、それはやめて必要な箇所だけピックアップして読んでいくようなやり方をした方がよさそうです。予想スコアは710〜815。本番ではどうなることやら…。

MacBook Air が届きました。さっそくいろいろ設定したりソフト入れたりして飼い馴らす作業に没頭…。トラックパッドが本当に使いやすいです。動作も速いしほんとに快適! もう惚れ惚れです。

自宅で無線LANを使えるようにしたんですが、そのおかげでiPhoneのネット接続速度がすっごく早くなって感激。これであんな画像やそんな画像も見放題…!

「他にないもの」を作りたいなと最近よく思うようになりました。ありきたりなもの、どこにでもあるようなものは退屈です。例えば自分は絵を描くことが多いけど、どうせ描くのなら、まだ誰も描いてないようなものを描くべきなんじゃないか、って。うまくは描けていても、他で見たことあるような絵なら、あんまり意味がない。こう書くとなんか当たり前のことのようにも思えるけど、これまであまりそのことをはっきりとは意識してなかったと思います。でも、ほんとはそこが一番大切なはず。■「それはよそのとどう違うんだ」。任天堂の山内社長は、何かを作ろうとしている社員に対して常にそれを聞いたそうです。「『いや、違わないけど、ちょっといいんです』というのは一番ダメな答えで、それではものすごく怒られる。それがいかに娯楽にとって愚かなことかということを、徹底していた」らしい(*1)。「他の何とも違うものが必要なんだ」。アップルが初代マッキントッシュのデザインを検討する際に、ジョブズはそう言い続けたそうです(*2)。やはり、「他にはないものを作る」ということが、ものづくりの命なんですよね。どんな分野でもきっとそう。自分の作ってるものなんてほんのささいなもので、アップルや任天堂と比べるのもおこがましい感じではあるけど、でも志くらいは見習ってみても悪くはないんじゃないかって思ってます。お前ごときがそんな大層なことを言える身分かよって突っ込みが飛んできそうで、こんな話は恥ずかしくて普段人前では言えないんだけど、チラ裏みたいなここでなら大丈夫かなという気がしたので、まぁお許し下さい。
*1 任天堂 “驚き”を生む方程式
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532314631/
*2 ジョブズはアップルに戻らない
 http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2011/01/post-1918.php

「オブジェクト指向」的に絵を描いたらどうだろう、なんて妄想が浮かびました。2011.1.16で絵のライブラリ化という事を考えたけど、発想としては同じ線です。プログラミングの世界には「ものづくりの方法・考え方」が色々と集結している感じがあって、絵や日常の事とかプログラミング自体とは全然関係のない所にもうまく応用できないかってたまに考えます。

「(描いてる最中の)かわいくない絵をかわいくしていく過程はプログラムのバグ取りに似ている」。そんなことをある人が昔つぶやいてました。ほんとその通りだなって思います。可愛くない原因って色々とあると思うんですが、例えばパーツのサイズがおかしいとか、バランスが取れてないとか、そういったエラー(バグ)を取り除くことで徐々に正解に近付いて行く、っていうのがかわいい系の絵を描く過程だと思ってます。Aという絵をA’ に描き変えてその差分を「評価」して、良くなっていればOK、ダメならやり直し。これのくり返しです。 ■「評価する」という点がポイントだと思います。描いた線が正しいのか正しくないのか、そこを評価する目が、大事なんです。絵を上手く描くのって手先の技術が重要だと思われがちですが、たぶんそれは違っています。手の動きが鈍くても、作業の中で何度も修正をすることで徐々に線は美しくなっていくので、むしろ重要なのは、引かれた線が正しいのか正しくないのか、それを判断する目が大事なんです。絵を描く間に何度も何度も頭によぎる「こうかな、いや違うなこっちだな」という判断、一つ一つは小さな決定だけど、その繰り返しが積もることで1つの絵は出来上がります。手先の器用さではなく、線の正しい選択を適切に行う判断力が、最終的な絵の質を決定しているんじゃないかって思います。

一度描いた絵もその後少しずつ改訂することがあります。細かいバグ取りや修正とか、内容自体に少し変更を加えたりとかです。最初に出したものがver1.0だとすると、ver1.1、ver1.2と、少しずつ進化するわけです。pixivなんかだと一度絵を出すと基本的に変更ができないけど、自分のサイトなら好きな時に絵の入れ替えが出来るのがいいですね。ソフトウェアなんかの世界ではバージョン管理がなされているのが普通で、最新のソフトに加えて過去のバージョンも配布されていたりとかしますけど、絵の世界でもそういうことをやってみるのも面白いかもしれません。

MacBook Air をポチた。早く届いておくれー。

絵を描くことを二次創作の絵を描くことから始めたんですが、これって絵を上達するうえでかなりメリットがあったと思います。初めからオリジナルのものだけを描いているより、二次創作から始める方が絵の上達の速度は、たぶん早い。例えば何かあるキャラクターの絵を自分が描いたとして、そのキャラクターが人気ジャンルのキャラの場合、すでに多くの絵が、そしてレベルの高い絵がたくさん描かれているわけです。すると、自分の絵をそうしたハイレベルの絵を簡単に比較することができる。オリジナルの絵の場合だと、そもそも描いている題材が違っているのでそうした比較がやりにくいですが、二次創作の場合は全く同じデザインのキャラを描くことになるので、出来あがった絵を比較する時に絵の技法的な部分・技術的な部分だけをより純粋に比較することができ、そのおかげで上手い絵と自分の絵の違いや差がわかりやすくなるので、技術を盗むことが容易になり、結果的により早い上達を得られる、というわけです。人気ジャンルならレベルの高い絵が多く、言い換えれば「お手本になるような絵」がたくさんあるので、そうでない場合よりも絵が上手くなるうえで有利な環境が出来あがっていると考えられます。誰にとっても必ずしも当てはまるかどうかはわからないですが、こうした要素はかなり大きいんじゃないかって思います。そして、「絵の比較の容易さ」という要素は、オリジナルだけを描いている人よりも二次創作をしている人の間で絵柄の画一化が起こりやすいことの原因の1つにもなってるんじゃないかって考えてます。

「描かずに描く」というのが最近の自分の中で1つのテーマになってます。絵を描くことって職人的な技術や才能を必要とする分野の代表的なものって今は考えられてますが、そうじゃないやり方ってきっとあるんじゃないかって思います。手先の器用さに頼らないでも、絵って描けるのではないか、と。昨日書いた「絵のライブラリ化」というのもそうした考え方のうちの1つです。あれは積み木を組み立てるようにして絵を作るという方法で、なるべく自分の手先を使わずに絵を描こうっていうものでした。こうした方向性を今後もっと突き詰めていきたいとか思ってます。

プログラムにはライブラリって考えがあって、何か新しいプログラムを作る時には0から全て自分で作ることはまれで、ライブラリから断片的なプログラムを持ってきてその組み合わせで自分の作りたいプログラムを作ります。ライブラリにない部分だけ自分で新たに作ればよく、こうした方法によって効率的に新しいプログラムを作ることができる。このやり方を絵にも適用できないだろうかって思います。毎回0から新しく描くって、それは絵では当たり前のこととされてるけど、ずいぶんと非効率的なことをやってるんじゃないかって気がして。絵でそれをやるとしたら、例えば汎用的なパーツを用意しておいて、いろんな場面でそれを流用したりといったやり方でしょうか。試しに、最近描いた背景画でこの手法をやってみました。森林を描く際に葉っぱのかたまりを別レイヤーとして分離しておいて、別の絵で森の木々を描く際にこの葉っぱのパーツを持ってきて当てはめたんです。実際にはもっと細かく複雑な操作をしてますが、だいたいそんな感じの事を。結果的に、かなり細かい(描き込みの多い)森が一瞬のうちに出来あがってしまいました。効果は抜群ですね。背景画に関してはこうしたことがかなりやりやすいんじゃないかと思います。もっとも、葉っぱを描くくらいのことなら専用のブラシを用意して描けばいいだけなんですが。

自分の中の日付感覚はまだ2011年感より2010年感の方が強いらしく、日付を書こうとする時つい2010年と書いてしまう。そういえば書類とかに自分の年齢を書く時に、その数字にショックを受けてしまうのがどうしても止められない。「え、もうこんな年だったっけ…」 自分では、今でも高校生の気分なのに! 数値だけは気持ちとは関係なく年々増えて行きギャップは広まるばかり。そろそろついて行けそうにないです。

何かに夢中になってると他のことが頭から消えてしまうのが自分のよくないところ。

C

C言語の入門書を1冊読み終えました。ポインタの扱い方や有用性がいまいちよく書かれていなかったので別の本でもっと勉強する必要がありそうです。Microsoft Visual C++ 2010 Express ってソフトを使ってるんですが、こんな便利な開発環境がタダでもらえるなんて、良い世の中だなぁ。

『任天堂 “驚き”を生む方程式』を読了。ゲーム業界の中でひときわ異彩を放つ任天堂が、現在の地位を築くに至るまでの歴史的流れと、その背景にあるものづくりの哲学を岩田氏や宮本氏らへのインタビューも交えて紹介しています。認知症の予防などにも使われている「脳トレ」やフィットネス器具として福祉施設に導入されている「Wii」など、これまでのゲーム業界では考えられなかったような独自の路線を切り開いているこの会社ですが、彼らが一体何を考えてものづくりをしているのか知ることができました。DSの試作品を作る宮本氏の様子など、開発中のエピソードも面白かったです。ゲームの面白さとは何かっていう本質をとことん追求していく様子が楽しい。Goggle社やApple社もそうだけど、ある理念をもとに独自性のあるコンセプトやプロダクトで社会にインパクトを与えている企業って見ていて気持ちがいいものです。

1がたくさん並んでる日。

今日買い物ついでにペットショップへ寄りました。いろんな動物がいたんですが、見ていて何といっても一番面白かったのは、サルでしたね。種類がなんだったかわからなかったんですが、小型で、手足の長いやつ。オリの中で盛んに動き回っていて、もうペットと言うよりまさに野生だなって感じです。小さなぬいぐるみを巣のような場所に持って行ったかと思うとすぐ放り投げたり、オリの側面に取り付けられた給水機に大きく手を伸ばしてぐらぐらさせたり、ほんと好き勝手に動き回ってました。ハムスターとかウサギとか熱帯魚とかはいかにも「私はペットです」と言う感じのたたずまいだけど、ペットショップの中でこいつだけは他の動物達とは全くの異質の存在で。何をしててもそこに個としての意志を強く感じるんですよね。ペットではなくて、むしろこっち(人間)側の存在のように思えるんです。全然人に従属してない。ほんと面白くて、しばらくの間ずっと見続けてしまいました。

電子レンジにスイッチ入れてチンなるまでの時間ってけっこう持て余したりする時ってありませんか? 特にすることが無く、かといってただじっと待つには少し長い時間。そういうときって意味もなくレンジの周りを歩き回ったり小踊りしたりしてしまうんですが、せっかくだし「チンを待つ踊り」みたいなものを正式に開発したくなってきます。

ウサギの絵を描きたい。ウサギ年ってこともあるけど、そのうち家で飼うことになるらしいので。

サイト改装作業をやってました。

本の電子化のメリットってスペースの節約になるということ以外にも、人に見られたくないようなタイプの本が見られずに済むようになるっていう要素がかなり大きいように思います。エロ本とかその手の本ですね。日本の電子書籍市場って携帯小説や携帯漫画が最も規模が大きいんですが、ああいうのって中高生とかがこっそりエッチなコンテンツを携帯の中で見ることができるってことが流行の背景にあるようです。実物の本がないので親バレの心配がないというわけですね。ベッドの下にエロ本を隠すみたいな光景もいずれは過去のものになってしまいそうです。隠し場所をあれこれ工夫したのに結局見つかってしまう、みたいな一連の流れも大切な通過儀礼の1つって気もするから、それが無くなってしまうのはちょっと寂しいような気も…。

いま欲しいもの。ScanSnap、裁断機、iPad。そう、アレがしたいんです。あとMacも。一度には無理だけど今年中には全部揃えてしまいたいところ。

風邪のせいで声が上手く出せなくなってしまった。

3年ほど前から絵を描くようになって、それ以降特に何も新しい事をやっていなかった気がするので、そろそろ何か新しい事を始めるべきだって気がして、プログラミングの勉強を始めてみました。Let’s C !

↓ 1がいっぱい並んでる。それがウサギの耳のように見えます。

明けましておめでとうございます。

紅白見つつ妹の年賀状を手伝ったり(作るの遅すぎだろう)してます。よいお年を。

PHPとjQueryを入門書読んで少し勉強してみました。次にサイトを作りかえる時に役立てたいところ。

枕元が未読の本で埋め尽くされてます。

ずっとお屋敷(紅魔館)の内装背景を描いてました。装飾とかそこそこ多く描いたけど、1点透視で左右対称な構図だったおかげで割と楽に描けた(片側だけ描いたらもう片方は左右反転すれば済む)のが助かったです。

新しいカバン(バッグ)のアイデアが思いついたから、今度材料を買って簡単な試作品を作ってみよう。

メリー・クリスマス!

絵について、昔は正しいデッサンの取り方や色の塗り方といった技術的なことについてよく考えたり話題にしたりすることが多かったけど、最近はそういったことに関する興味、というより悩みと言った方が近いと思うけど、それがだいぶん薄れてきました。もちろん技術的な向上心がある限り今でもそういったことは常に関心事ではあるんですが、それよりももっと考えるべきことがあるだろう、と思うようになったからです。つまり、どう表現するか(=表現技法)を考えることよりも、何を表現するか(=表現内容)を考えることの方がずっと大切で本質的な事だろうということです。これまで自分は技術を追求することに目を奪われて、そもそも何を表現の題材にすべきかということをあまり考えてこなかったような気がします。どれだけ技術的に優れたものを持っていたとしても、それによって描かれるものが内容としてありきたりなものでしかなかったら、やっぱりつまらない。技術自体は普通でいいから、むしろ内容的に斬新な題材であったり、まだ誰も絵として描いていないようなモチーフとか光景とかを描いた方が、新しい価値を生み出せるんじゃないかって思います。

通学とかで同じ場所へ何度も行き帰を繰り返していると、そのうち一番の近道を見つけますよね。道が単純な場合はどう行くのが一番近いかってことはすぐにわかるんですが、途中に細かい路地が多くあるような場合は選択肢が多い分判断が難しいし、1番の近道と2番目の近道とでほとんど距離に差がなかったりもするので、本当にどれが1番近い道なのかなかなか確定できません。高校の頃によく行っていた図書館への道が、まさにそれでした。■その図書館へ最近久しぶりに行ったのですが、今回はiPhoneとGoogle Mapsという新しいテクノロジーがあります。自転車で走りながら、衛星画像を見て確認した最短の経路にそって進んで行きました。すると…。その道は、昔自分が「これが一番の近道だ」と体感的に見つけ出した経路と、見事に一致したのです。私の勘は正しかった!そんなささいな嬉しさを感じると同時に、こういったことを簡単に確認できてしまえるような道具を作り出したグーグルやアップルといった会社って、本当に世界を変えているなぁと改めて感心してしまいました。

両手を頭の上に乗せてウサ耳のようにして鏡の前で可愛いポーズの研究をしてました。べ、別にそういう趣味があるわけじゃなくて、絵を描く参考のためなんだからねっ! 人の体をうまく描くのはなかなか難しいことなので、自分でポーズを取ってそれを参考に描くというのはよくやります。このカエルと歌う絵なんかも、鏡の前で傘(=マイクの代わり)を持ちポーズを決めて写真を撮り、それを元に描いてます。だから絵の中の人物は自分の分身のようなものですね。それはある意味で「絵の中に入った私」だとも言えるので、そう考えるとちょっと不思議な気分です。

『街場のメディア論』を読了。どのようなものでも「自分宛ての贈り物」だと勘違いできる能力が世界に意味と価値を与えコミュニケーションの根源的な基礎付けを与えている、という話が興味深かったです。twitterなどで不特定多数の相手に自分の言葉を誰に対するでもなしに発するのは、その言葉を価値ある贈り物として見出してくれるような相手の出現をどこかで心待ちにしているからなのかもしれないな、と思いました。

「紙は丸めて捨てないで折って捨てる」と言う人がいました。私もそうです。その方がかさばらなくてGoodですよね。ところで、私の場合折る時は三つ折りにして折ることが多いです。正方形の紙だったら、まず均等に三つ折りにして細長い状態にして、また三つ折りにして小さな正方形になる、といった感じ。なんで二つ折りじゃなく三つ折りなのかってあらためて考えてみたけど、特に理由が見当たらなかったです。そっちの方が折ったものが広がりにくい、とか思ってたような気もするけど、実際特に差はないような気がするし。

『電子書籍の衝撃』を読了。書籍の電子化とそのオンラインでの流通が、本の世界をどう変えるかを論じています。CDからネット配信へとシフトした音楽の世界ではそれに伴う新しいエコシステムが形成されつつあり、そこで起こっているコンテンツのアンビエント化やフラット化が本の世界でも起こるだろうとのこと。読書体験のソーシャル化という点については各種レビューサイトや読書メーターなりtwitterなどで既に顕在化しているので、電子書籍におけるマスからアンビエントへの転換という著者の主張にはいまいち実感が湧きませんでした。また無名の人でも情報の発信者となり著者がフラット化するということについてもブログメディアや動画配信サイトの隆盛などweb上ですでに起こっていることなので、電子書籍ならではの新しさはどこにあるのか、という点がいまいち打ち出せていないように思えました。そう考えると「電子書籍の衝撃」とは何なのかというと、やはり一番はそれが電子であるということ(検索できることやクラウド化されること)それ自体なのだろうと思えます。

『電子書籍の時代は本当に来るのか』を読了。電子書籍のこれまでと現在を詳しく解説し、今後の展望について考察しています。Amazon、Apple、Googleといったこの分野の主なプレーヤーの動向がよくわかりました。電子書籍の時代が来ると言われた時が日本ではこれまでに何度かあったもののそのたびに流れは定着せず立ち消えになってきたという経緯があったようですが、AmazonやGoogleといった存在が電子化の流れを推し進めこの分野の主導権を握ろうと目論んでいる現在、否応なしに対応せざるを得ない状況になっているようです。しかし紙から電子への本格的な移行は再販制度の是非など既存の構造への影響が大きく簡単な事ではない様子。当面はiPadやKindleのような端末が徐々に普及し電子書籍の品ぞろえも少しずつ増えて行くという形でじわじわと電子化の流れが浸透して行くのを待たなければいけないのかも。新聞の電子化に伴うweb上の記事の有料化傾向や将来の電子化時代における図書館の役割といった話題も興味深かったです。

『ルポ 電子書籍大国アメリカ』を読了。日本とは異なるアメリカの書籍業界の様子がわかって面白かったです。日本だと著者は複数の出版社から本を出しているけど、欧米では1つの出版社だけから出すのが原則なんですね、知らなかった。電子書籍のシェアは現在は売り上げの8%だけど、近いうちに20%ほどになるのではないかとのこと。急に全てが電子に取って代わることはありそうにないけど、それでも着実に電子化の流れは進みつつあるようです。

深夜にコンビニへ行って帰ってきたら、マンションに入れなくなってしまいました。玄関のオートロックの解錠番号をど忘れしてしまったのです。しばらくしたら運よく他の人が来て一緒に入ることが出来て助かったんですが、しばらくの間とても寒い思いをする羽目になってしまった…。

冬でもアイスは欠かなさい派なんですが、さすがに最近は食べる気がしない日が増えてきました。

本を読んでいてわからない事やもっと詳しく知りたい事が出てくると、本を置いてその場ですぐググります。とても便利な世の中になったと思う反面、時にそれが注意散漫の原因となっているような気もします。一度ネットサーフィンを始めるとなかなか戻って来れなくなったりするし、オンラインの情報が気にかかって紙の上の文字に意識が集中できず、内容がきちんと頭に入っていないと思うことがあります。「ながら勉強」が頭に入らないのと似たような感じですね。だから、最近はそういうことにならないよう読書中はネットを見ないようすることにしました。調べたいことは、読書が終わってからまとめてする。これなら気が散ることなく集中して読むことができそうです。

アイデアの出し方の話の続き。これまでの経験を振り返ってうまくアイデアが出せた時のことをよく考えていたら、自分がどういう状況で案が浮かびやすいか、ということがある程度わかった気がします。上手く行く時のパターンみたいなものがあるようです。とすると後は、その状況を支援するような道具立てを整えてやれば、それで1つのアイデア生産法のできあがり、ということにできそうです。

新しい絵のアイデアがなかなか浮かばず苦心中。そういうときはぼーっとしたり寝たりしてそのうちアイデアが降ってくるのを待つんですが、締切がある場合はあまりのんびりしていられないのが難しいところ。こういう時のためのアイデア生産方法がこれといって自分には無いのがいけないですね。文章のジャンルでは、例えば小説のアイデアを出す方法というのはすでに色々と考案されているんですが、そういうのを参考にしつつ絵やグラフィックに関しても何か方法といえるようなものを自分なりに用意しなくては、と考えています。天啓のようにアイデアが完全な形で降ってくる、というのは1つの理想ではあるけど、いつもそんなことが起こるわけではないし、むしろなかなかアイデアが浮かばず苦心する場合の方が多いので、そういった時にもうまくやっていける方法が必要です。プロの人はその点どうやってるんだろうかと気になるところです。

こんなことがやりたいと強く思ったことも、実際やろうとするとどうもうまく具体化出来ずに、結局そもそも何がしたかったのか分からなくなってしまいやめてしまう、ということをずっと繰り返してる気がします。絵を描くことでもそうだし、それ以外のことでも。気が多い性格なのがいけないのかもしれません。もっと1つのことに粘り強く取り組むようにするべきなのですが、なかなか難しいです。一貫したビジョンを持って何かに継続的に取り組めている人たちがうらやましいですし、早く自分もそうならなくては、と思います。

洋書を買うためにamazon.comを初めて利用してみました。これまでも洋書はamazon.co.jpで買っていたんですが、今回欲しい物がjpの方には無い物だったのでcomで買うことになったわけです。実際の所comでもjpでも手続きとか買い物の仕方とかほとんど何も変わらないんですが、1つ注意すべきことがありました。本を新品のものではなく中古で買う際に、本屋によっては日本へは送れない場合があることです。今回欲しかった本が新品と中古とで50倍くらい値段に差があって、安い中古でどうしても買いたかったんですが、どの中古品も日本への輸出が出来ない店からのものだったので困りました。幸い6つ位あった中古のうち最後の1つが輸出にも対応してて、無事中古のものを入手出来たんですけどね。そんなわけで、amazon.comで買い物をしている時に中古品で安い値段のものがあったとしても、必ずしもそれが日本から買えるとは限らないので注意しないといけない、ということです。

iPhone用のタッチペン(これ)を買ってみました。ちょっと触ってみた感じとしては、これで絵を描くのはけっこう難しそうだなという印象。ペン先が太いので、描線の出る位置がうまく調整しにくいです。iPadくらい画面が大きければそれなりに使えそうな気もしますが、iPhoneの画面サイズだとなかなか扱いにくいです。簡単な図を描いたりとかだったら問題なく使えそうなんですけどね。

この欄を毎日更新しているせいでGoogleReader上でYUKITGRAPHは毎日更新情報が通知されるんですね、今気付きました。これはちょっとウルサイかもしれません。365のページを1枚のhtmlにして手書きで毎回の更新を追加して行くようにすれば回避はできそうですがどうしたもんでしょう。別に気にするほどのことでもないかもしれないし、いまいち判断が付かないのでとりあえずはこのままで続けてみます。

消費期限を2日過ぎたクリームパンを食べたら、しばらくのあいだ腹痛が治まらず…。そういえば以前も期限を3日過ぎたパンを食べたことがあったんですが、その時もお腹を壊しました。今回はまだ2日だったから大丈夫だと思ったんですけどね、甘かったです。消費期限なんてだいたいの目安に過ぎないと思ってたけど、けっこう厳密なものなのかも。次からは気をつけます。

iPhoneに.mp3をあれこれ入れる作業をやってました。PCに接続したりiTunes起動させたりが面倒だし、そもそもiTunesと同期してないといけないって考え方が好きではないから、今のところiPhoneにデータを入れるのはもっぱらDropboxとGoodReader経由でやってます。

そして今日駅に行ったら自転車がなくなっていた。どうやら回収されてしまったみたい、がっくり…。

自転車に乗って駅に行ったのに、帰りは駅から歩いて帰ってきてしまった。帰りの駅から出るとき雨が降っていて、傘を開いたその瞬間に頭が歩きモードにスイッチしてしまい自転車のことはすっきり消えてしまった、という感じです。

『よつばと!』10巻を読みました。この巻はとーちゃんの素敵なお父さんぶりが印象的でしたね。65話の雰囲気が良いです。動物シールのつみきで遊ぶ様子とか、眠くて大人しくなってる所とか、よつばちゃんがとってもかわいい。どの話も良くて、これまでの中で10巻が一番好きかもしれません。

『ラブひな』の全巻無料配信が始まったので、とりあえず1巻をiPhoneに入れて読んでみました。漫画をiPhoneで読むのは初めてだったけど、快適に読めてびっくり。続巻もぼちぼちと読んで行こうと思います。

いつもの散髪屋に行ったら新しい人が入っていて、いつも切ってもらっている新人の人がもう新人ではなくなっていました。

絵を描いていて困ることその1。深夜に食べ物の絵を描いていると、お腹がすいて仕方がないこと。例えば以前パン屋の絵を描いていたとき、資料探しにパンの画像をあれこれ見て回っていたら空腹感が大変なことに。深夜にこれはなかなかつらいものがあります。

ジブリ映画の主人公のデザインが決まるときのエピソードをスタジオジブリの鈴木さんが話していた。キャラクターにその内面を投影するような外見を与えると、その外見が今度はキャラクターの内面の深化へと逆流していく、というプロセスが面白いです。

『ハリー・ポッターと死の秘宝part1』を見てきました。いつもの3人組のやり取りがやはり楽しかったです。次の最終回も早く見たいですが、まだ終わらないで欲しいって気持ちも…。

起きたら夕方だった。

最近読書メーターを利用し始めました。読書記録をつけたりコメントを付けたりできる場所です。この手の読書管理サービスの中では老舗ですね。今さら、という感じもあるんですが、最近読書量が減っていて良くないなと思っていたので、こういうのを使って少しでもペースアップしていけたらなと思いました。サイト内の私のページはこちら

iPhoneから投稿テスト。

「紐をほどけにくくくくった」。連続する「く」が日本語ではなく記号の羅列に見えて面白い。

映画『第9地区』を見た。宇宙船が故障し、アフリカ・ヨハネスブルクの隔離地区に「難民」と化した大量のエイリアンたちが住み着いているという一風変わった設定の作品で、エイリアンというものが日常の一部となった世界という状況がユニークで面白い。難民となったエイリアンたちに知性はほとんどなく、マナーのなってないただの野蛮人としてのさばって周りの住民(地球人)から疎まれている(まるで日本の田舎で山から下りてきた猿が住人に迷惑かけてるようなあんな感じ)。地球を侵略しようという意志もなく、かといって従順になるわけでもなく、隔離地区にスラムを形成し傍若無人な態度で生活をしているという、そんなエイリアン像が面白い。後半は戦闘シーンが多くなるのだけど、エイリアンの武器や主人公の乗り込むマシンがかっこよく、映像には迫力があった(CGがとても自然!)。グロテスクなシーンが多くそれが唯一難点といえばそうだったかもしれない。内容としても映像としても見るべき所の多い、印象的な映画だった。